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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(6) 天心とフェノロサ

もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」は、どういう訳か、岡倉天心さんを語っております。


天心さんは、文部省より近畿地区の古社寺調査を命ぜられ、フェノロサさんと一緒に法隆寺の夢殿を調査に行った時のお話です。夢殿を開けるように法隆寺のお坊さんに依頼したところ、「聖徳太子以来、開いたことがなく、明治初年に一度開いたら、たちまち空が真っ暗になり、雷鳴が轟いたことがあるので、怖くて怖くて開けません、どうかご勘弁を!」と言って開けようとしなかったとか。


天心さんとフェノロサさんは、それを押し切って、無理矢理扉を開かせたのですな。そこは、すごい黴と埃、そしてクモの巣で覆われていまして、少し進むと蛇やネズミも出てくるは出てくるは!天心さんとフェノロサさんは、めげずにおっかなびっくり歴史の厚みの中を進んでいきます。すると、突然、素晴らしい観音像が現れたというのです。生涯最高の喜びを感じたと、天心さんは語っています。


天心さんは、同19年(1886年)10月に美術取調委員として欧米各国の美術教育の情勢を視察する出張を命ぜられ、一年間各国を回ってきます。もちろんフェノロサさんも一緒でしたな。帰国後の天心は、この視察で得た美術教育に関する知識や体験を図画取調掛委員として東京美術学校(現在の東京芸術大学)の開校準備に活かしたのですな。開校後の同23年(1890年)、なんとわずか28歳の若さで天心さんは同校二代目の校長に就任しております。


13歳で東京開成学校に入学して、一番多感な青春期にフェノロサさんという師表と出会い、単なる通訳から美術の世界に興味を持ち、18歳で文部省に入り、日本各地の古社寺を巡り、海外にも行き、美術に関する知識をいっぱい吸収して、28歳で東京美術学校の校長先生ですからね。運にも恵まれていますが、大したもんですな。


天心さんは東京美術学校で「日本美術史講義」を担当し、これがまた名講義であったと言われておりますな。有名な横山大観さん(1868-1958年)、下村観山さん(1873-1930年)、菱田春草さんらは第一回生でありました。彼らは、天心さんの名講義を聴いたのでありますな。



投稿者 tuesday : 2006年08月06日


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