古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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義父(ちち)の詫び状

 先週末の「ぷらざ劇場」超満員のチュ-ズデ-ライブは、今後の活動にインパクトを与えるであろうエポックメイキングなひとときとなりました。何しろすごい熱気!「昭和」がどんどん遠ざかって行く今だからこそ、お互いの心にしっかり思い出を刻みつけておきたい!…そんな執念さえ感じました。
 来月の三重でのライブに至っては、親孝行の真髄を見ることができそうで、想像もできない期待感で一杯です。


 そして私は「お母さん」もさることながら、自己表現がうまくできないために、仕事に邁進しすぎたために家族から遠ざかってしまった「昭和のお父さん」たちに思いを馳せます。80歳も半ばを過ぎて、ようやく自身をふり返り、「厳しすぎたのかな-」「妻不孝だったんだな-」と素直に認めることができるようになった父・義父。もう少し早くそんな言葉を聞けていたら、親子の絆は強まっていたかもしれないのに…、残り少なくなった人生を悔恨で塗りつぶさなくてすむかもしれないのに…と、入院中の義父と話しながら思うのです。


 鹿児島で子ども時代を過ごした私は、殊にキョ-レツな暴君のような「昭和のお父さん」をたくさん見てきましたので、自分自身も傷つきながら、それでも今問題になっている虐待とは明らかに異なる不器用な父親たちの哀しみを受け止めたいと思うのです。「寺内貫太郎一家」然り、「火宅の人」然り、、傷ついた子どもたちは、その傷を乗り超えて次の世代に問いかけています。何故そういう生き方になったのか、その時代に何が求められていたのか…。


 「長生きしても、輝いて生きられる時期は、せいぜい20~30年位のものだな…」と義父は言います。
88歳。日本中が等しく貧しかった…、戦争という逃れられない共通体験をもった…、貧しさから這い上がるために命がけだった…、そんな世代の「昭和のお父さん」。
「お前たちがやってる歌は、大抵知ってるよ」…あまり詳しくは伝えていないはずの「チュ-ズデ-」のレパ-トリ-にも関心を示すようになり、先日は、歌詞カ-ドを見せながら病室で片っぱしから昭和歌謡を歌う私に、呆れながらも所々唱和してくれました。


 「(こんな目に遭って)、死んだ方がましだ」と言っていた義父が、過去を振り返るうちに「どこを思い出してもイバラの道だった」「考えが足りなかった」→「生きろという声を聞いた」「君のおかげで気づいた」→「楽しかったことを思い出した」…と、少しずつ変わってきたのです。思い出が生きる力を呼び覚ます…そんな実感を日々味わっているyasukoです。
義父は「貧しかった頃(みんなで肩を寄せ合って支え合って生きていたのが)楽しかった」「戦争すらも(親友と呼べる友を得て、助け合って生きていたのが)楽しかった」と言うようになりました。


 「もう一度だけしゃんとして、それから死にたい」「人の役に立つことを、もっとしたかった」…この言葉(まさに「義父の詫び状」)に応える道を探しながら、明日も話をしに、歌を歌いに病院へ行こうと思います。



投稿者 tuesday : 2009年04月20日


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