古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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「東北の心に触れて…」その1

大型連休の中盤、外国にいる息子の、地元の幼馴染仲間がつくっている「和之会」に声を掛けてもらい、東日本大震災被災者支援ボランティア活動をしに、気仙沼に行ってきました。

 23~27歳位の若者たち25名、59歳の地元の区議さんと58歳の私、計27名というメンバー。「若い子たちの足を引っ張らないようにね」とシドニーの四男に言われたことを肝に銘じて、戸惑いながらの参加でした。

 事前の打診で「避難所のお年寄りを元気づける炊き出しとして、お祭りをしてほしい」との要請を受け、避難所となっている中学校に焼きそばやトン汁等の屋台を出す計画。区内外の町会やJCの協力を取り付け、さまざまな機材の借用・寄付を得ていく動きは、若者たちのガッツと思いによって大きく広がりました。

 「すべては被災者のために」「笑顔と大きな声で」「まず、自分たちが心から楽しむ」など、コンセプトを共有しながらの8回以上のミーティングに出られなかった私にも、丁寧な書面での解説が届けられました。

 大型トラックにテント・長机・杵や臼・綿あめやポプコーン製造機・大太鼓等を積んで、商用バン、エスティマ、プリウス等6台の車に分乗してのキャラバン隊は、5月2日の10:00pmに王子を出発、夜を徹して走り続け、3日の7:30am頃気仙沼の海岸に到着。言葉を失う異臭と被災の現状は、私たちの表情を一気に曇らせるのに十分な有様です。「お祭りなんて、できるのだろうか…」

 避難所に行く前に暗い気持ちになってしまった私たち。緊張感漂う雰囲気での現地の人たちとの初顔合わせはぎこちないものでした。「笑顔、笑顔!」「大きい声でね」と声をかけるリーダーのFくん。息子の幼稚園以来の親友です。地元の居酒屋で働くHくんが料理長となり、私は彼のもとで、仮設調理場での仕込みのメンバーとして配置されました。

 専門家用の切れ味のいい包丁をHくんから借りて、山のようなキャベツ、大根、ニンジンの刻みが延々と続きます。184名を擁する避難所の食糧班は給食室さながらの活況を呈しました。「喜んで食べてもらえるだろうか…」           つづく



投稿者 tuesday : 2011年05月08日


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