昭和歌謡の音楽ボランディア おもひでチューズデー

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レパートリー

六十余年あった昭和の時代・・・。今われわれ日本人は、懐かしくその時代を振り返ります。昭和の時代に生きて来た人々には、政治的・経済的な時代の流れとともに、それぞれ一人ひとりの違った喜怒哀楽の日々がありました。

深刻な不況や悲惨な戦争の時代、そして占領下の時代や高度経済成長の時代も一生懸命に生きてきました。日本は、戦争による焼け野原をすっかり忘れたかのように甦り、立派に先進国のトップを走ってきました。この激動の昭和の時代を生きてきた一人ひとりの人生には、いつも心に残る「昭和歌謡」が流れていました・・・。

戦前の歌謡曲

昭和歌謡の革命児といわれる古賀政男の「影を慕いて」「酒は泪かため息か」をはじめ、時代がキナ臭くなってきた頃に流行った、中国ブームを映した「支那の夜」など、戦前を彩った歌謡曲の数々をご紹介します。

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もりちゃんの昭和歌謡ウンチク

昭和は、関東大震災からの復興で始まりましたが、昭和の初めは金融恐慌(昭和2年)や世界大恐慌(昭和4年)により、経済不況の状態が続きました。そんな暗い時代に意外にも庶民は、そんなに落ち込んではいなかったようであります。

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戦後の歌謡曲

引揚船が着く港々で流れていた「かえり船」や「憧れのハワイ航路」「青い山脈」などの戦後の苦しく厳しい人々の生活に明るさと元気、そして安らぎを提供した歌の数々をご紹介します。

戦後の歌謡曲のレパートリー(曲目)はこちら!

もりちゃんの昭和歌謡ウンチク

昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏することによって、漸く戦争が終わりました。日中戦争、太平洋戦争における邦人の戦没者は、300万人(軍人・軍属230万人・民間人80万人)、戦争に巻き込まれた中国、朝鮮、フィリピン、東南アジア諸国の戦没者は2000万人を超えると言われており、多くの尊い命が失われました。

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昭和30年代の歌謡曲

もはや戦後ではないと謳われた昭和30年代。たくさんの歌謡曲が生まれました。憧れの東京を歌った「東京のバスガール」や「東京だよおっ母さん」そして人々に夢と希望を与えた「いつでも夢を」「下町の太陽」などなど、昭和30年代の歌の数々をご紹介します。

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もりちゃんの昭和歌謡ウンチク

昭和30年になりますと、日本の輸出が急激に伸び始めたのでございます。すると、企業は設備投資をして生産を増やします。企業は儲かるは、労働者の給料も上がるはで、消費が活発になったのであります。 それに伴い、各地方から東京に沢山の人たちがどんどん集まって来るようになるのであります。

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昭和40年代以降の歌謡曲

昭和40年以降ともなると歌謡曲も多様化してきます。ラテンのリズムを持ったものや逆にムード歌謡と呼ばれるようなジャンルも生まれてきました。その中でなんといっても忘れることができないのは、昭和の歌姫美空ひばりが歌った「悲しい酒」でしょう。おもチューでも十八番の1曲です。

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もりちゃんの昭和歌謡ウンチク

昭和40年に入りますと、オリンピックが終わり、日本は不況に襲われます。5月に大手証券会社が倒産の危機を迎えます。この証券会社、この時は田中角栄大蔵大臣が日本銀行から特別に融資を行うように動いて危機を脱出したのですが、それから三十余年後の平成9年(1997年)には、就任4ヶ月目の社長が「社員は決して悪くはありませんから」と大泣きして、今度は本当に潰れてしまいました。大きな製鉄会社も倒産して、戦後最大の倒産と言われました。

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