古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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みかんの花咲く丘

この4月から、ヒューマンさんのデイケア施設で2ヶ月に1回コンサートを開くことになって、前回は4月27日に「風鈴の湯」へお邪魔しました。チューズデーとしては、この定期公演(?)を機に、コンサートの冒頭でこれまでのレパートリーにはない、季節の曲を演奏することにしました。


で、前回は春に因んで「早春賦」となったわけですが、次は6月2日。いってみれば梅雨になるので、雨の曲を探したのですが、どうもしっくりするものがありませんでした。そこで、季節としては5月下旬にあたるのですが、まあ6月もまだ2日ですからよかろうということで、「みかんの花咲く丘」を演奏することにしました。


「みかんの花が咲いている~」で始まるこの曲、戦後を代表する童謡ですが、ほんの1日でできあがった曲なんだそうです。作詞者の加藤省吾自身が「わたしが「みかんの花咲く丘」を作ったのは昭和21年8月24日の12時半から13時くらいの間であった。」と言っているくらいで、いわば“無理やり”作らされた詞のようですね。


彼がミュージックライフという音楽雑誌の編集員をしていた昭和21年の8月、同誌の特集で当時12歳の人気少女歌手、川田正子のインタビュー記事を載せることになり、芝にあった川田家を訪問する。約1時間のインタビューを終え、腰を上げたところへ2階から作曲家、海沼実が降りてきた。当時、海沼実は川田家に住み込んでおり、2階にピアノを置いて音羽ゆりかご会の練習場にしていたのだ。


顔を会わすなり、彼は加藤に「なにか歌詞を書いてくれ」と依頼する。実は東京のNHKと伊東市の小学校を中継してのラジオ二元放送「空の劇場」という番組が企画されていて、その伊東市の会場で川田正子が唄う歌がまだできてないのだという。しかもその放送が明日なのである。一度は断ろうとしたものの、今回の歌は1回限りの放送用だから気楽に作ればよいというので、まんまと詞を書かされることになってしまった加藤は故郷の静岡県のみかん畑を思い浮かべながら、さくさくと詞を書いていった。


出来上がった歌詞を手にすると、海沼は川田正子とともに内幸町のNHKへ飛び出していく。そこには、当時CIE米民間情報局とCCD米民間検閲部が陣取っていた。そこへさっき出来たばかりの加藤の詞を持ち込み放送許可が出るのを待った。この頃出版物や歌などは発表する前に必ずGHQの審査を受けなければならなかったのである。


許可が下りて、2人はすぐに伊東行きの電車に飛び乗った。なにしろこの日は伊東行きはこれ1本しかなかったのである。そしてこの電車の中で、海沼は何度も歌詞を口ずさみ、やがて列車が伊東に着く頃には歌のメロディーは完全に出来上がったそうである。この日、伊東の旅館で海沼は川田正子と一緒に風呂に入り、正子の背中を流しながら明日唄うことになっている新しい歌を教えたという。


こんなドタバタの中で生まれたこの曲は、空前の大ヒットとなった。童謡歌手、川田正子の人気も頂点に達し、大人のスター歌手をも圧倒する勢い。こうして戦時中、下火となった童謡は戦後再び盛んに唄われるようになり、昭和30年代の前半頃まで「レコード童謡」は子供たちの娯楽として活況を呈したというのだから、何がどうなるのか分からないものである。


でも確かに歌ってみると、静岡の明るい風景が思い浮かぶ良い曲ですね。6月2日、ヒューマンの利用者の方々にもそんな穏やかな風景を思い浮かべていただければよいのですが。



投稿者 tuesday : 2007年05月06日


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