古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(16) 父死去後の雨情

もりちゃんは、昭和歌謡で一番最初に大ヒットした「波浮の港」の作詞者野口雨情さんの青春時代を語っています。


さて、明治37年(1904)は日露戦争が始まった年でありますが、雨情さんは22歳でありました。この年、雨情さんのお父さんである量平さんが磯原村の村長在職中にご逝去され、雨情さんは急遽磯原に帰り、家督を継ぐことになりました。


家督を継ぐからには、独り者ではいけないなどと周りの人達は五月蝿く、雨情さんはお見合いを勧められ、その年の11月に栃木県喜連川の高塚家から「ひろ」という娘を嫁にもらいました。雨情さんにしてみれば、あれよあれよと言っている間に!という感じであったのでしょうな、慌ただしさが想像できますな。


ところが、雨情さん、慌ただしいところに追い討ちをかけるように重大な問題を抱え込むことになってしまったのです。お父さんの量平さんが残した膨大な借財を整理しなければならなかったのです。あれまあですな。これが実に大変だったらしいですな。


雨情さんとしては、自分の大好きな詩の世界に浸り、自分独自の詩の世界を作りたかったに違いありません。詩とは関係のない重い仕事をしながら一家を背負わなければならないという状況に突如立たされた雨情さん、つらい葛藤の日々が続くのであります。日本はロシアと戦争中、雨情さんの心の中もつらい戦いがありました。可哀想な雨情さんでありましたのですな。


この続きは、また今度!お楽しみに!



投稿者 tuesday : 2006年10月29日


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