古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(24) 殉死の理由と愚将説

乃木さんは、何故、明治天皇を追うようにして自害(殉死)したのでしょうか?それも妻を連れ添って・・・。


「自分この度、御跡を追い奉り自殺候段恐れ入り候儀、その罪は軽からずと存知候。しかる所、明治十年の役に於いて、軍旗を失い、その後死所を得たく心がけ候もその機を得ず、皇恩の厚きに浴し、今日まで過分の御優遇を蒙り、おいおい老衰もはや御役に立ち候時も余日もなく候おりから、このたびの御大変何とも恐れ入り候次第、ここに覚悟相定め候時に候」


これが乃木希典さんの遺書の一部であります。西南戦争で軍旗を失くしたことだけが自害の理由だったのでしょうか?おそらく、日露戦争で多くの自分の部下を戦死させたことへの後悔・謝罪が理由だったけれど、それを表明すると、日露戦争に参加した将校たちに「乃木さんが多くの若者を死なせた責任をとって自決したのに、お前たちは乃木さんのように責任をとって自決しないのか?」という非難が向けられると考えたからではないか?乃木さんは、すべて自分が至らなかったのだということにして全責任をとったのですな。やはり人格者ですな。偉いお方です。


乃木さんは、東郷さんと並んで「聖将」といわれていますが、一方で「愚将」と言われておりますな。東郷さんは「愚将」とは言われておりません。この烙印を押したのは、前にも述べたように司馬遼太郎さん(1923-1996年)です。名作「坂の上の雲」以来、乃木さんは「愚将だったらしい」というイメージが付き纏っているようであります。それまでは「愚将」とはあまり言われていなかったようですな。司馬さんは、どうして乃木さんを「愚将」としてしまったのでしょうか?


この続きは次回に!



投稿者 tuesday : 2006年12月20日


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