古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































メンバーズブログTOPへ > morichan > 童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(31) 第一次世界大戦と日本の動き


童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(31) 第一次世界大戦と日本の動き

山本五十六さんは、東郷さんをあまり好いてなかったらしい。東郷さんは昭和9年(1934)まで生きておられましたので、大正から昭和初期にかけての軍部への影響力、威厳力は相当なものであったようですな。東郷さんは何と言っても「聖将」であられますからね。もりちゃんは、大正から昭和にかけての日本の動きと東郷さんの影響について語ります。


さて、日露戦争から大正・昭和にかけての日本はどんな動きをしていたのでしょう?日本は、日露戦争に勝った後、大正3年(1914)に始まった第一次世界大戦(1914-1918)では頼まれもしていないのにドイツに宣戦布告して参戦し、中立を宣言していた中国の抗議を無視して山東省に侵入し、ドイツ領の青島(チンタオ)を占領したのであります。それと、赤道以北のドイツ領南洋諸島も占領したのであります。さらに、イギリスから日本に対し陸軍を欧州に、海軍を地中海に派遣するよう要請があったのですが、日本はきっぱり拒否したのでありますな。へてから、日本は、大戦中、欧米諸国がアジアから目を離している隙に、中国に対し「二十一か条の要求」をするのです。その主な内容は、次のとおり。ズルイやり方ですな。日本人はこんなことをやっていたのですな。


1.山東省におけるドイツ権益の継承
2.南満州、東部内蒙古における権益の強化
3.漢冶萍公司(かんやひようこんす)を日中合弁事業とする
4.中国沿岸の港湾島嶼の他国への不割譲
5.政治、財政、軍事顧問の日本人の登用


勝手な要求ですな。なかなか中国の大総統である袁世凱さん(1859-1916)も呑まなかったため、日本は満州、山東、漢口に兵力を増強して迫り、⑤を削除した上で、大正4年(1915)5月9日に最後通牒を突きつけ受諾させたのであります。えげつなーっ!吉本新喜劇の大スターだった岡八郎(1938-2005)もビックリする程のえげつなさですな、ホンマに。中国では、この5月9日が「国恥記念日」として抗日運動の始まりとなっているそうであります。このあたりから日本の行動は嘆かわしくなるのですな。




投稿者 tuesday : 2007年01月21日


トラックバック


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kayou.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/189

★【 熱意ブログランキング 】★12 NPO・ボランティア にほんブログ村 音楽ブログへ ブログランキング

BS blog Ranking  【ブログ探検隊】人気ランキング