古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(80) 啄木さん、はるばる来たぜ、函館の女!

雨情さんと啄木さんは、梅干し茶漬けの朝食を終えて、しみじみとお茶を飲んでいました。
「そうでやんしたか?一家離散とは、悲しいでやんすね」
「・・・・・・」
啄木さんは、押し黙って、熱いお茶を飲んでいました。
「本当に悲しいでやんす」
「・・・・石をもて・・・・追はるる如く・・・・故郷を・・・・出る・・・・」
啄木さんは、言葉を噛み締めるように言いました・
「そうでやんすか、そうでやんすか」
雨情さんは、大きく頷きながら啄木さんを見つめていました。


「それでぇ、函館にゃ、いつ着いたでやんすか?」
「・・・・確か、5月5日だったと思います・・・・」
「五月でやんすか」
「妹は、函館から姉の住む小樽へ向かいました・・・・」
「ほう、小樽へ・・・・、そうでやんすか・・・・」
二人の会話は、そこで一旦止まり、長い沈黙が流れました。雨情さんは、熱いお茶を飲む毎に、湯呑みをちゃぶ台に置いては、長い溜息を吐いて、間を保っていました。


「函館では、どのように過ごしておられたでやんすか?」
「はあ・・・・、何か働く職が得られる様なら函館へ行きたいと思うと文学サークルの仲間に手紙を出したところ、彼らに函館に来るように誘われました・・・・」
「文学サークルでやんすか?」
「はい、苜蓿社というサークルです」
「ボクシュクシャ?ボクシュクって何でやんすか?」
「苜蓿(ぼくしゅく)、つまり、馬肥やしです。ヨーロッパ原産のマメ科の越年草で、馬にやると肥える牧草の一種です」
「へぇーっ、そうでやんすか」
「そのサークルの雑誌『紅苜蓿』(べにうまごやし)の編集をやらせてもらいました」
「ほう、啄木さんは、編集になれておられるでやんすから」
「いやぁ、そんなことは、ありません。サークルの仲間には世話になりました。本当にいい人ばかりでした」
「ほう」
「宮崎君、吉野君、岩崎君、並木君、丸谷君」
「ほう、ほう」
「函館の青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」
「ほう、いい詩でやんすね」
「いえいえ、私は、『紅苜蓿』の編集のかたわら、5月11日から函館商工会議所の臨時雇いとして働き、6月11日からは、また小学校の代用教員をしていました。月給は12円でした」
「また、革命をやろうとしたでやんすか?」
「いえ、もうそんな元気はありませんでした」
「函館は素敵な街です。大森浜をよく散歩しました。砂山もあり、素敵な処です。同僚の橘智恵子さんともよく歩きました。奇麗な人でした。知性が感じられる人でした。彼女は、まさに函館のひとです」
「えっ?啄木さんの影に女ありでやんすね」
「め、めっそうもない。でも、こんな詩を作りました。砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出ずる日」
「ほう、情景が浮かぶでやんす」
先程まで泣いて元気がなかった啄木さん、ようやく表情が柔らかくなってきました。雨情さんは、ほっとした気持ちで啄木さんの話を聴いていました。


ここでちょっとひとこと、もりちゃんの歌謡曲解説です。
「函館の女」といえば、昭和40年(1965年)に大ヒットした北島三郎の曲(作詞:星野哲郎、作曲:島津伸男、クラウンレコード)ですな。昭和39年に日本コロンビアレコードから分裂してできたクラウンレコードへ移籍した翌年にヒットを飛ばし、150万枚も売れたとか。


この続きは、また次回に!お楽しみに!




投稿者 tuesday : 2007年11月18日


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