雨情さん、啄木さん、園田さんの三人は寝っ転がり、リンゴを食べています。
「札幌に行ってきたでやんす」
雨情さんは札幌であった話をし始めました。
「奥さんは、大丈夫でしたか?」
啄木さんが心配そうに訊くと、雨情さんは
「大しだごとねえのに電報で呼びづげよって!迷惑な女だ!どごまでも追いかけでぐる奴だ!」
と唇を震わせながら不満そうに言いました。
「そんなこと言ったら、奥さんが可哀そうじゃありませんか」
啄木さんは雨情さんをたしなめました。
「そうたごどよりも、聞いてほしいごどがあるんだ。実は、家内の具合が大したごどがながったんで、白石社長宅さ寄って来たんだ」
雨情さんは得意げに話をしだしました。
「主筆の不埒な岩泉江東のこどを白石社長にしゃべってぎだよ。白石さんは、大いにわれらに肩を持ってぐれだ。白石さんは、われらのごどを理解しでぐれでいで、信頼もしてぐれでる」
「本当ですか?」
啄木さんは上半身を起して、雨情さんに尋ねました。
「ほんとうだよ。嘘なんかつがないよ。それで、わしは、白石さんが味方だど確信したんで、その足で、主筆の岩泉のうぢさ行ったんだよ。あいつ、今日、新聞社を欠勤しでたっぺ。創刊号を出す忙しい時なのに、休んでいやがって、家さ行ったら、病気でもなくぴんぴんしでいだ」
啄木さんは驚いた様子で言いました。
「岩泉のところへ行ったんですか?」
「そうでやんす。それで、言ってやったでやんすよ。俺たぢの待遇をよぐしろって!特に、優秀な石川君の待遇を改善しろって!」
啄木さんは身を乗り出し、完全に寝ていた園田さんまで起き上がってしまいました。
「そうしたら、あいつ、分かった改善するよって言ったでやんす。すごい話だろ?啄木さん、びっくりだろ?きっと三面から二面の担当になるでやんすよ、啄木さん」
啄木さんは、その日の日記に、こう書いています。
<野口君の語る所によれば、白石社長は大に我等に肩を持ち居り、又岩泉局長も予の為に報ゆる所を多からしむとす言明せる由、社に於ける予の地位は好望なり、遠からずして二面に廻るべし。>
啄木さんは、雨情さんに頼んでもらって、さぞかし嬉しかったのでありましょうな。野望家で立身出世欲が人一倍強い生意気な青年啄木さんは、それはそれは有頂天になるような心から嬉しい話だったに違いありません。「雨情さん、ありがとう!」きっと何度も啄木さんは心の中で、そう言っていたでありましょう。
投稿者 tuesday : 2008年08月09日 |