古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(89) 雨情さん曰く「啄木さん、そりゃなかっぺ!」(2)

啄木さんは、雨情さんと初めて会った時のことを後に喋っていますが、どうやら、ある朝早くに雨情さんの下宿を訪ねて行って初めて会った訳ではないみたいでありますな。
「九月二十三日の晩、北一条四丁目幸栄館なる小国君の室で初めて会した」
と啄木さんは言っています。なんか変ですな。啄木さんと雨情さんとでは、言っていることが違います。あの朝の雨情さんの下宿での二人の会話は無かったのでありましょうか?


啄木さんは雨情さんと初めて会った時のことをこう言っておりますな。
「(雨情君に)初めて会した時は、生来礼にならわぬ疎狂の予は、少なからず狼狽した程であった。気障も厭味もない。言語から挙動(ものごし)から、温和(おとなし)いずくめ、丁寧ずくめ、謙遜ずくめ、デスと言わずにゴアンスと言って、その都度ちょいと頭を下げるといった風、風采は余り揚がっていなかった。イをエと発音し、ガ行の濁音を鼻にかけて言う訛りが耳についた」


雨情さんがこの啄木さんの言いっぷりを黙って聞いていたらなんと仰るでしょうかな?
「ふむぅ、ふむふむ、むぅ、初めは、まあまあ我慢しで聞いてられるが、最終的には決しでいいごどを言っていねえ。鼻もぢなんねえ男だ、啄木さんは!」
とでも仰いますかな?


雨情さんと啄木さんのそれぞれの日記や資料等の文献を読んでみますと、このお二人さん、食い違ったことを言っておられまして、その信憑性はどちらもどっちという感じであります。お二人とも嘘をついておられるように感じます。そして、お二人はお互いをあまりいいように評していないのであります。啄木さんは雨情さんのことを、温和(おとなし)くて、風采が揚がらない方言訛りが取れない田舎者と言っていますし、雨情さんは雨情さんで、啄木さんのことを、田舎者で貧乏であることを藪の中の厩に住む家族の話で強調して、そのくせ生意気で、喜怒哀楽が激しい若造、なんて感じで表現しているように、もりちゃんには思えます。皆さんは、どのように思われますか?これは、雨情ファン、啄木ファンで意見が分かれるようであります。


さて、このお二人は、出会って早々に、小国氏が持ってきた話に意気投合して、勤めていたそれぞれの新聞社を辞めて、小樽で新しくできる小樽日報社に入社することを決め、九月末に札幌を発ったのであります。啄木さんにしてみれば、札幌は2週間程の滞在でした。はてはて、このお二人さん、小樽でどのようなことになるのでありましょう。


では、この続きは次回に!お楽しみに!



投稿者 tuesday : 2008年03月22日


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