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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(106) 啄木さん、雨情さんの仇を討つ?

雨情さんが辞めたことによって、給料が一挙に五円も昇給して二十五円となり、三面の編集責任者を任せられた啄木さんは、どのような生活を送っていたのですかな。


啄木さんの日記を見ると、
<11月1日 此日より三面を主宰す。>
<11月6日 花園町畑十四番地に八畳二間の一家を借りて移る。>
とあって、それから12月11日までの1ヶ月以上、何も書かれていないのであります。この間の啄木さんが、どのように過ごしたかはよく分かっていません。


八畳二間の一家を借りたのは、給料が上がったから、啄木さんは引っ越したのではないようですな。啄木さんの狭い家には雨情さんやいろんな人が訪れては夜遅くまで議論をしたり、騒いだり、挙句は泊ったりしたため、妻節子さん、娘の京子ちゃんと母親のカツさんは、ゆっくり眠れなかったし、世話も大変だったのでしょう、啄木さんは旦那が小樽駅の駅長をしていたお姉さんの家に預かってもらっていたようであります。ところが、その旦那が、岩見沢駅長に転任になったため、きっと節子さんとカツさんが一軒家を借りようと言い出し、啄木さんは仕方なしに一軒家を借りることにしたのだと思います。「ちぇっ、せっかく、給料が上がったというのに!ついていないなあ」と啄木さんは嘆いたでありましょう。坊主頭を掻きながら悔しがる啄木さんの様子が浮かびます。


仕事の面では三面記事の編集責任者ということですから、きっと忙しかったに違いありません。雨情さんが去ってから、まず啄木さんが行ったことは、主筆の岩泉江東の排斥でありました。啄木さんは白石社長に訴えて、岩泉江東の排斥に成功したのです。啄木さんは白石社長に、岩泉江東の陰謀によって雨情さんが社を辞める至った経緯を、自分の反省の念を込めて涙ながらに語ったのではないですかな。岩泉江東の排斥は、雨情さんの仇討ちではありますまいか!


啄木さんは、小樽日報の11月19日号にこう書いています。
<・・・・人は何処より来り、何処に往くや、人之を知らざる也。之を知らず、然も人の来り又来る、但暮時を期せず、其数かぞえ難く其跡趁ひ難し。我何が故に生まれ、何が故に活くるや。・・・・・主筆江東岩泉氏、昨日を以て突如「最後の一言」を草せらる。言々情切にして、之を読む者声涙共に下る。今日に至り、改めて我等編輯局裡の残党に慇懃なる告別の辞を賜はりぬ。・・・・・>


雨情さんが辞める羽目になった小樽日報社の中でのゴタゴタ事件の張本人である岩泉江東は、啄木さんにとって、憎き憎き輩であった筈!そうであるにもかかわらず、これは美辞麗句に満ちたご丁寧な文章でありますな。「人は何処より来り、何処に往くや、人之を知らざる也」の人とは、岩泉江東のことだけでなく、当然雨情さんのことでもあり、啄木さんはゴタゴタ事件を振り返って、しみじみ書いている訳であります。仇討をしたにもかかわらず、すっきりしない啄木さんの心情が分かるような気がします。




投稿者 tuesday : 2008年12月13日


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