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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(112) 啄木さん、小樽を離れ、釧路へ向かう!

明治41年1月19日、啄木さんは、午前4時まで釧路行きの身支度をしていたようであります。啄木さんは午前9時の汽車に乗ろうと、小樽駅に向かっています。たった3時間余りくらいしか寝ていなかったようで、眠かったに違いありません。しかも、この日は、あいにく大雪の日であったようで、啄木さんにとっては大変だったようですな。


その大雪の中を幼い娘さんを背負った奥さんは駅まで見送りに来ていました。一緒に釧路まで同行してくれる白石社長が、時間になっても来ないので、啄木さんは予定していた汽車に乗り遅れてしまいました。そして、白石社長はいつまで待っても現れないので、奥さんと娘さんは、空しく帰って行ったようであります。


子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな


啄木さんは、日記に、
<予は何となく小樽を去りたくない様な心地になった。小樽を去りたくないのではない、家庭を離れたくないのだ>
と書いていますが、寒い朝の小樽駅での夫婦の別れが切なく、駅舎の待合室の窓から、娘さんを背負いながら雪の中を帰る奥さんの後姿を見ながら、啄木さんは心に問うていたに違いありません。


「俺は、何をしようとしているのか?釧路に俺の夢や目的があるというのだろうか?あるのは新聞社の編集長という地位だけではないか!その地位が欲しいのか?確かに生活費を稼がなければならないが、釧路にどうしても行かねばならないのか?人の良い白石社長の勧めに、編集長という肩書を用意するという甘い言葉で、簡単に乗ってしまったのでは・・・・・?」


敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに


この詩から察するに、啄木さんが小樽日報社を辞める原因になった事件、つまり啄木さんを殴った小林事務長も、見送りに来ていたようでありますな。サラリーマンの転勤の光景に似ていますな。啄木さんは、すっかりサラリーマンと化して、業務命令や転勤の辞令に従うように、自分の本心とは違ったサラリーマン的な使命感に従ってしまって、釧路行きを決めたのかもしれません。


結局、啄木さんは、午前11時40分発の汽車に、白石社長と乗ったのであります。その白石社長は、急用があったのか、「旭川で落ち合おう」と言って、札幌で下車していきました。一人で汽車の窓から眺めた光景を、啄木さんは次のように日記に残しています。


<急に旅にある様な心地になって、窓を透かして見たが、我が愛する木立の都は雪で隔てられて、声もなく眠って居た>


みぞれ降る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲエネフの物語かな


この詩は、この時に詠んだ詩ではなく、札幌から小樽に向かう汽車の中で詠んだものだとする説があります。その説では、啄木さんは、この詩を詠んだ後に小樽の新聞社に戻り、小林事務長に殴られたとあります。車窓を眺めながら、釧路に向かう啄木さんにはいろんな思いが駆け巡っていたのかもしれません。




投稿者 tuesday : 2009年05月24日


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