古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































メンバーズブログTOPへ > morichan > 童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(118) 啄木さん、函館に着く!


童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(118) 啄木さん、函館に着く!

4月7日、啄木さんは函館港に着きました。


<風強く、波が高い。船は可成海岸に沿うて北に進んで、尻矢岬の燈台から斜めに津軽海峡の早潮を乗切った。宮古から恰度一昼夜で、午后九時二十分函館に着いた。背後から大森浜の火光を見て、四十分過ぎて臥牛山を一週。桟橋近くに錨を投じた。あはれ火災後初めての函館。なつかしいなつかしい函館。山の上の町に燈火の少ないのは、まだ家の立ち揃はぬ為であらう。>(4月7日)


啄木さんは、甲板から函館の夜景を見ながら、昨年8月25日の函館の大火を想い出していたに違いありません。
「あれからまだ一年も経っていないが、いろんなことがあった・・・。俺は札幌、小樽、釧路と北海道をぐるりと廻って、いろんな人たちと出会ってきた・・・。小国さん、白石社長、雨情さん、岩泉江東、小林寅吉、沢田信太郎、小奴、梅川操などなど、あの人たちは皆、何かを引き摺って生活をしているようだった・・・。引き摺っているものからはなかなか逃れられない、それほど重いものを引き摺っていた・・・。その重いものを引き摺っている限り、あまり人生は変わらないのだ。いくら高い志を持っていても、いくら努力をしても、変わりはしないのだ。でも、俺は、この函館の大火を切っ掛けに、引き摺っている重いものを函館で燃やし、断ち切ることができた。軽くなったのだ。そして、俺は、札幌、小樽、釧路で自分の生き方を変えてきている」


啄木さんが函館に来たのは、無二の親友という宮崎郁雨に、東京へ行くことを相談しようと思っていたからでした。
「石川さん、釧路の新聞社を辞めて、これからどうするんですか?」
郁雨さんは啄木さんの青白い顔を見ながら、心配そうに訊きました。
「いやあ、心配してないですよ」
啄木さんは内心を見抜かれないようにわざと明るく言いました。
「まさか、石川さん、与謝野先生のいる東京へ行くつもりじゃないでしょうね?」
郁雨さんがそう言うと啄木さんは思わず驚いた表情になりました。
「ど、ど、どうして分かったのですか?」
「分りますよ、石川さんは、素晴らしい詩歌を作られる才能がおありです。文学への造詣も深い。札幌、小樽、釧路と渡り歩かれて、もう北海道で行きたい処はない筈です。新聞記者の仕事も興味がないようですし・・・・」
啄木さんは、すっかり郁雨さんに見透かされていました。
「石川さんは、いいなあ。石川さんは才能高き自由人だ。北海道にはもったいない方です!」


郁雨さんと啄木さんは、昨年5月に苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)という文学サークルで出会ったのですが、郁雨さんは小さい頃に新潟県の片田舎から一家で函館に渡ってきた商人の子で、啄木さんと出会うまでは、平凡な函館の青年だったのであります。郁雨さんは、文学サークルで自分が持ち合わせていない啄木さんの優れた文学的才能に触れ、啄木さんを尊敬し、友情の念を抱くようになったのであります。




投稿者 tuesday : 2009年12月12日


トラックバック


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kayou.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/573

★【 熱意ブログランキング 】★12 NPO・ボランティア にほんブログ村 音楽ブログへ ブログランキング

BS blog Ranking  【ブログ探検隊】人気ランキング