古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(116) 啄木さん、釧路を離れる!

仕事に不満はなく、それなりに給料を貰えて、飲み食いだけでなく、芸者さんとお付き合いもできて、なに不自由もなく、啄木さんは釧路で生活していました。釧路の人達との付き合いも時間が経てば、深くなってくる。誰に咎められることなく、啄木さんは、酒と芸者に現を抜かしていたのでありましょうか?釧路の啄木さんを取り巻く人達との和気あいあいとした付き合いが、次第に男と女の関係に収斂していく流れの中で、啄木さんもその流れに乗っていたと思われます。夜な夜な飲み歩いて、芸者と遊び、明け方に下宿に戻って、昼近くまで寝ている生活が続いたのであります。


<日が暮れても帰らぬから、お帰りなさいと云って帰してやった。男は男、女は女!噫、女は矢張女であると考へて、洋燈をつけた。急に心地が悪い。不愉快で、不愉快で、たまらない程世の中が厭になった。>(3月22日)


啄木さんは、自分の下宿によく来る女を追い返しているのであります。この女は名を梅川操といい、芸者ではなくて下宿の前の病院の看護婦さん、たまたま昨年函館の大火の前日に、啄木さんは彼女が公園でブランコに乗っていたのを見掛けたことがあり、その彼女と釧路での歌留多会で偶然再会したのであります。啄木さんは、「危険な女」であると日記に書いたりもしています。芸者の小奴さんとはタイプが違い、あまり好きではなかったが、気になる女だったと思われます。


<「昨夜は、私悪魔と戦って勝ってきました」と梅川が云ふ。其話は、昨夜衣川が病院に来て飲んで、十一時頃梅川をつれ出した。厳嶋神社へ行って口説いて、アハヤ暴行に及ぼうとしたのを。女は峻拒して帰って来たのだといふ。衣川は愍(あわれ)むべき破綻の子、その一身の中に霊と肉とが戦って、常に肉が勝利を占めている男である。別れ際に、「貴女は僕より豪い」と云ったとか。「私、悪魔と戦って勝ったのですネ。愉快でした、愉快でした、実にモウ愉快でした(略)」>(3月22日)


衣川というのは、啄木さんが勤める釧路新聞社の記者で、昔、東京で会ったことのある岩手同郷の男で、これまた偶然にも再会していたのであります。この男は、記者で啄木さんの部下・同僚で、よく飲みに行っていた仲でありました。偶然にも、この男と女に、啄木さんは再会し、その男と女同士が、醜い肉と霊の戦いをして、女は「愉快でした!」と言っている・・・・。


自由気ままに毎日酒を飲んで騒いで遊んで生きている男たちと女たち、啄木さんは情けないと思ったに違いない。その中に自分もいたのだ。きっと啄木さんは、そう思ったに違いない。人間って何のために生きているのかという問題に気が付いたのでありますな。


<漸く不快を忘れて一時帰って寝る。夢が結べぬ。それからそれと考へて、果敢ない思のみ胸に往来する。つくづくと、真につくづくと、釧路がイヤになった。噫。>(3月22日)


啄木さんは、この後、鬱病状態になり、4月早々に釧路を離れてしまいます。あ~あ、啄木さん!釧路にたった3ヶ月もいなかったのでありますな。これまた、情けないことで、ありますな。



投稿者 tuesday : 2009年09月06日


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