古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(124) 啄木さん、東京へ出発す!函館よ、さようなら!

啄木さんは、4月14日に雨情さんとの再会を済ませて、5日間小樽に滞在したようでありますな。19日には古道具屋を呼んで雑品等を売り、家族の荷づくりをして、その夜に家族四人で函館行きの汽車に乗ったのであります。函館に着くと、宮崎郁雨さんが用意した新居に落ち着きました。米から味噌まですべて、宮崎郁雨さんが世話してくれたといいます。そして、24日の夜、啄木さんは函館から横浜行きの三河丸で上京するのであります。


<舷窓よりなつかしき函館の燈火を眺めて涙おのづから下る。
老母と妻と子と函館に帰った!友の厚き情は謝するに辞もない。自分が新たに築くべき創作的生活には希望がある。否、これ以外に自分の前途何事も無い!そして唯涙が下る。唯々涙が下る。噫、所詮自分、石川啄木は、如何に此世に処すべきかを知らぬのだ。
犬コロの如く丸くなって三等室に寝た!>(明治41年4月24日日記)


この時の啄木さんの胸中や、どうだったのでありましょう!家族を残して舷窓から眺めた函館の街の明かり、啄木さんの頬には涙が流れ、止まらない。啄木さんは、これが函館との最後の別れでありました。


北の岬に~♪咲く浜茄子の~♪
花は紅♪みれんの色よ~♪
夢を追いかけ~♪この海越えた~♪


函館港の反対側の海岸に面した立待岬に、彼のお墓があります。そこには奥さんを含め石川啄木一族が眠っておられます。彼は無念にも4年後に亡くなってから、また函館に戻って来たのであります。このお墓は宮崎郁雨さんらが建てたと言われています。


立待岬と言いますと、やはり森昌子の「立待岬」(作詞:吉田旺、作曲:浜圭介、編曲:馬飼野俊一、昭和57年8月10日発売)を思い出すもりちゃんでございます。この曲は、昭和57年度古賀政男記念音楽大賞に輝いた作品で、当時森昌子は24歳でした。「せんせい」(作詞:阿久悠、作曲:遠藤実、編曲:只野通泰、昭和47年6月25日発売)でデビューした当時のもんちっちー(失礼!)とは違って、とても綺麗な大人の女性になっていましたなあ!


あなた恋しと~♪背のび~する~♪
待~って待って待ちわび~て♪ 立待岬~の花になろうと~♪
あなた、あなた待ちます~♪ この命枯れ果て~るまで~ ♪


この曲を聴きながら、啄木さんの生涯を思うと、悲しくなって涙が出てきます。啄木さんは、立待岬に眠り、今何を思っておられるのでしょうや?



投稿者 tuesday : 2010年05月03日


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