古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(127) 雨情さん、客死す!

雨情さんは、明治41年9月に「北海タイムス」を辞めて、室蘭の「室蘭胆振日報」に入社しています。どうやら「北海タイムス」では認められず、正社員としては迎えられなかったようで、結局いろいろな人を介して、8月に創立されたばかりの「室蘭胆振日報」に主筆の職を探し出したようであります。


「わすは、室蘭にいくでやんす」
それを聞いたヒロ夫人は、呆れた顔をして、
「あなだには、ほどほどあぎれます。こんな北の地で、何を成し遂げっぺどするんですが?」
と言って、雨情さんを睨み付けています。
「今度は、主筆の役職をようやぐ得るごどができだ」
雨情さんは言い返しました。
「どうせ、ちいさな新聞社だがら、主筆といっても、てえしたごどはねえよ。あなだには何もできっこなかっぺ」
「・・・・・・・・」
雨情さんはしばらく言い返すことができませんでした。
「この人は、こんねえ(懲りない)人だねえ、どうすっぺもねえ人だ」
ヒロ夫人は、容赦なく雨情さんを責めました。
「やがましい。黙っていだら、いい気になって、もう何も言うな。おめえは、磯原さ帰れ!」
雨情さんは、言ってしまったのです。ヒロ夫人は怒ってしまい、雨情さんを置いて、茨城の磯原に帰ってしまいました。


奥さんを郷里に帰して、雨情さん、本当にどうするの?って感じでありますな。雨情さんは、一人でどんな気持ちで室蘭に向かったのでありましょう?そしてであります。9月19日の読売新聞にこんな記事が載りました。


「野口雨情氏、客死す!」


えっ?ありゃまぁ!
雨情さんが死んだって?雨情さんは一人室蘭で空しく亡くなってしまったのですか?そっ、そんな?!
何も果たせずに、北の果てで命を落としたのでしょうか?それは、それは、あまりにも呆気ない人生でしたな、雨情さん。もりちゃんの書いているこの物語も終わってしまいます。悲しいことであります・・・。


あの石川啄木さんが、9月22日に「悲しき思出-野口雨情君の北海道時代-」という題で、雨情さんの追悼文を書いています。


<本年四月十四日、北海道小樽で逢ったのが、野口君と予との最後の会合となった。その時野口君は、明日小樽を引払って札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途につくとの事で、大分元気がよかった。恰度予も同じ決心をしてゐた時だから、成るべくは函館で待合して、相携へて津軽海峡を渡らうと約束して別れた。不幸にしてその約束は約束だけに止まり、予は同月の二十五日、一人函館を去って海路から上京したのである。
<其野口君が札幌で客死したと、九月十九日の読売新聞で読んだ時、余の心は奈辺であったらう。知る人の訃音に接して悲まぬ人はない。辺土の秋に客死したとあっては猶更の事。若し夫野口君に至っては、予の最近の閲歴と密接な関係のあった人だけに、予の悲しみも亦深からざるを得ない。其日は、古日記などを繙いて色々と故人の上を忍びながら、黯然として黄昏に及んだ。>
中略
<気障も厭味もない。言語から挙動から、穏和(おとなし)いづくめ、丁寧づくめ、謙遜づくめ、デスと言はずにゴアンスと言って、其度些(ちょい)と頭を下げるといった風、風采は余り揚ってゐなかった。イをエと発音し、ガ行の濁音を鼻にかけて言ふ訛が耳についた。>
中略
<野口君は予より年長であり、世故にも長けていた。例の隠謀でも、予は間がな隙がな向不見(むこうみず)の痛快な事許りやりたがる。野口君は何時でもそれを穏かに制した。また、予の現在持ってゐる新聞編輯に関する多少の知識も、野口君より得た事が土台になってゐる。これは長く故人に徳としなければならぬ事だ。>


啄木さんは雨情さんとの札幌や小樽での出来事を回想しながら、懐かしさとライバル心、そして良心の呵責を覚えながらこの文章を書いたのですな。啄木さんは、雨情さんと出会って文学で成功したいという気持ちを強く抱くことになったと自覚していたに違いありません。それと、ライバル的存在だった雨情さんはそれが実現できなかったのだと、悲しみを込めて、この文章を書いたのだと、もりちゃんは想像します。


ここでもりちゃんの頭に、あるフレーズが流れてきました。


<♪遠~い北国の~♪ みずうみに~♪
 ♪悲し~い姿♪ スワンの~涙♪>


雨情さんが何故か北の果ての湖で白鳥となって天に召されたように思えたのであります。このフレーズは、多くの少女を失神させたグループサウンズ「オックス」の「スワンの涙」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平、ビクター、昭和43年12月発売)の歌詞でありますな。失神して倒れ、オシッコを漏らしていた少女たちも五十歳代後半のおばちゃんになっていることは、どうでもいいですな。とにかく、雨情さんは、儚くこの世を去ったのであります・・・?!合掌。



投稿者 tuesday : 2010年09月04日


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