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「波浮の港」は、オペラなの? 藤原義江物語②

あまり人と人を比べることは良いことではありませんが、もりちゃんが前回に藤原義江さんと佐藤千夜子さんを比べた記述をしたことで、藤原義江さんの方が優等生であるかのように受け取った方も多いかもしれませんな。藤原義江さんをもう少し掘り下げてみましょうか!藤原義江さんの人生とは、どんなだったのでしょうか?


藤原義江さんは、ハーフで青い目をしていたようですな。写真を見ますと、日本人離れしたいい男で、お父さんのイギリス人リードさんの血を濃く引き継いだようですな。しかし、お父さんのリードさんは義江さんを自分の子供と認知しなかったのですな。そのため、不幸にも琵琶芸者であったお母さんのキクさんは、琵琶を担ぎ、幼い義江さんを連れて、下関を出て、放浪の旅を始めました。


キクさんと幼い義江さんは、下関から九州に渡り、福岡から大分を海沿いに放浪したようでありますな。つらい旅だったようでございます。不安だったでありましょう。ある日、国東半島の南側の杵築(きつき)という町に辿り着き、キクさんは旭楼という料亭でやっと仕事を見つけることができました。ところが、幼い義江さんは、可哀想に国東半島の東側にある国東町のお寺に預けられてしまいます。


しかしながら、何が幸いするか、世の中わかりませんな。義江さんがこれまた相当猛烈に腕白でありまして、寺の住職も手を焼いて困り果て、結局は義江さんはお母さんのキクさんのところに返されてきました。母子は一緒に暮らし始めるのですが、キクさんは義江さんを夜一人にして仕事に行く訳にもいかず、お座敷に一緒に連れて行くようになりました。


そのうち義江さんは酔っ払ったお客のリクエストで歌を歌わされることになりましたな。なんと、これが聴き惚れるほど上手!でありまして、これが評判となり、義江さん、毎晩お座敷で歌を披露することになりましたとさ。藤原義江の歌手への道は、ここから始まったということですかな。この続きは、次回に!



投稿者 tuesday : 2006年04月02日


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