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「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑦ 女給さんと放浪記

もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」は、どういう訳か、女優の岡田嘉子さんを語ることになります。


「道頓堀行進曲」は、実は、当時の人気女優岡田嘉子が大阪の松竹座で公演した「道頓堀行進曲」という劇の主題歌に作られたものだそうです。岡田嘉子さんは、前年には映画「椿姫」の撮影中に相手役で年下の男爵家出身の竹内良一と駆け落ちをしたり(劇の「道頓堀行進曲」は彼女が駆け落ち問題を起こし世間を騒がしたとして再起を図るための興業だったようですな)、10年後の昭和13年1月には演出家の杉本良吉(これも年下でありましたな!)と樺太から雪の中を馬橇に乗ってソ連に亡命したり、いろいろと問題を起こした女優さんでした。


岡田嘉子さん、戦中戦後の10年間をソ連の強制収容所で過ごし、モスクワ放送で日本向け放送のアナウンサーをし、モスクワ大学演劇科で演劇を学び、昭和47年(1972年)に帰国しました。当時、高校生だったもりちゃん、結構ニュースでも取り上げられていたことをよく覚えております。羽田空港に着いてタラップから降りる岡田嘉子さんの姿を覚えています。


岡田嘉子さんは、その後、日本でも演劇活動を再開し、映画「男はつらいよ」にも出演していますな。一緒に亡命した杉本良吉さんは、彼女とともにスパイ容疑で逮捕された後、すぐに銃殺刑となっております。「赤い恋の逃避行」は本当につらい悲劇に終わったのでありますな。でも、岡田嘉子さんはNHKのインタビューで「私は自分の過去を後悔するってことは嫌いなんです」と仰っていました。岡田嘉子さんは、平成4年(1992年)2月10日に亡くなられています。


そう言えば、もりちゃんは女給さんのお話をしていたのでありましたな。またまた話が逸れてしまいましたな。昭和3年の10月に作家の林芙美子さんが、上京、事務員・女工・女給などの職を転々とした体験をもとに、『女人藝術』に「秋が来たんだ――放浪記」の連載を開始しましたな。この連載を元に改造社から昭和5年(1930年)7月に新鋭文学叢書の一冊として刊行された『放浪記』はベストセラーになったということであります。昨年、文化勲章をもらった森光子さん、この『放浪記』(菊田一夫・三木のり平演出)で前人未到の2000回上演を目指しておられるとか。いやはや、恐れ入りやの鬼子母神でありまして、誠に敬服いたします。


もりちゃんの「昭和歌謡ウンチク」は、時代をあっちへ行ったり、こっちへ来たりと、時を駆け巡ります。まだまだ昭和3年に関するお話は続きます。この続きは、また次回。乞うご期待!



投稿者 tuesday : 2006年04月30日


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