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「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑪ 3・15検挙

もりちゃんは、まだまだ昭和3年を語っておりますが、これがなかなか終わらないですな。ちょっとピッチを上げないと、いつになっても昭和歌謡ウンチクは終わりません。まだ、昭和歌謡元年の昭和3年ですからね。


さて、前年の昭和2年の暮れには、浅草・上野間の地下鉄道(今の東京メトロ銀座線の一部)が開通して、昭和3年の浅草や上野は大賑わいだったとか。「おいおい、もりちゃん、昭和3年って、そんなに明るく賑やかだったのかな?どうも昭和初期というと、なんとなく暗~いイメージがあるんだけどなー」う~ん、そうですなあ、ようやく明るさが出てきたのに、この年から、暗い影が漂い始めるのも確かでありますなあ。


昭和3年3月15日に共産党員が検挙されました。いわゆる「3・15検挙」です。6月29日には治安維持法が改正され、結社組織には死刑が科せられることになったのであります。治安維持法といえば、大正14年(1925年)3月に制定されていましたが、死刑という定めがなかったのであります。知らなかった人も多いでしょうな!


普通選挙法が同年の5月に公布され、先般ウンチクを語りましたとおり、昭和3年に2月20日に普通選挙が実施されました。民主化と同時に手綱を締め、様子を見ながら運営を図るという奴ですな。というのも、大正11年(1922年)に7月に日本共産党がソ連のモスクワ・コミンテルンの日本支部として発足しておりまして、モスクワから大量の資金を援助されていたようであります。日本の共産党は、文学の「白樺派」からの流れがあるという説もありますが、発足当時は、インテリが好むインテリの集まりだったとも言われております。


このあたりの話は、立花隆さんの本に詳しく書かれているのですが、昭和2年に幹部たちがモスクワのコミンテルンから呼び出され、モスクワに行くんですね。そこで革命を起こすための指示を受けたそうです。モスクワからの指示は「天皇制の廃止、貴族院の廃止、労働者の武装、天皇・大地主の土地の没収と国有化」でありまして。これが、いわゆる「27年テーゼ」と言われているものであります。


なんだか、暗~く、怖~く、なってきますね。この続きは次回に!



投稿者 tuesday : 2006年05月08日


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