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「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑱ 関東軍・張作霖・蒋介石

さて、もりちゃんは、「張作霖爆殺事件」を語っております。庶民が知らぬところでひどいことが、軍部によって引き起こされたのですな。


日本陸軍(関東軍)は張作霖さんを操っていたつもりだったようですが、本人はそんなことを気にせずに、関東軍の後ろ盾で1911年(明治44年)に辛亥革命を起こして中国統一を目指していたあの孫文さん(1866-1925)と蒋介石さん(1887-1975)の「国民党軍」と戦ったり、毛沢東(1893-1976)の共産党軍と戦ったりしておったようですな。


ちょっと、余談ですが、蒋介石さんは、明治40年(1907年)に日本の陸軍士官学校に留学しに来ていて、陸軍士官学校を出てから、明治42年~44年(1909年~1911年)まで日本陸軍に勤務していたんですって。彼が親日派だった理由はここにありますな。そう言えば、孫文さんも日本に一時亡命していますな。


張作霖さんが関東軍の言うことに聴く耳を持たずに「国民党軍」と戦っているので、おそらく関東軍はいろいろとヤキモキしていたのでしょう。蒋介石さんも日本陸軍にいたことがあるので日本と直接戦うことは考えたくなかったかもしれませんが、関東軍は、「国民党軍」と戦うより満州の守備固めに専念したほうがよいと考えたようですな。


「国民党軍」に負けて北京から満州の奉天(現在の「瀋陽」)に列車で逃げ帰ってくる張作霖さんを爆殺することを関東軍の高級参謀の河本大作大佐(1883-1955)が策謀したと言われています。彼は、北京と奉天を結ぶ京奉線で奉天駅近くの満鉄線と交差する地点に爆弾を仕掛け、張作霖さんの乗る列車を爆破しました。ここには現在、日本の関東軍の策謀により張作霖さんが爆死した旨を記した碑が立っています。


この続きは、次回に!



投稿者 tuesday : 2006年05月23日


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