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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(2) 野口雨情の故郷・北茨城

北茨城市磯原町は、太平洋を臨む視界が開けた町で、夏は海水浴で賑わう町です。野口雨情さんの生家は、海岸沿いの国道6号線に面した場所にあります。江戸時代には廻船業で富を蓄え、大きな屋敷であったことから水戸徳川藩主の御休憩所となり、あの水戸黄門様(水戸光圀)が「観海亭」と名づけ、「磯原御殿」とも呼ばれた名家だったそうですな。


野口雨情さんはその名家の長男として生まれたのであります。現在建っている古い屋敷は、雨情さんが生まれる少し前の明治10年(1877年)頃に建てられたもので、雨情さんは明治30年(1897年)に上京するまでの15年間を過しております。雨情さんの幼年期から青年期までの想い出がいっぱい詰まっている御殿です。


雨情さんは小さい頃より御殿の二階から広い海(太平洋)を眺望して何かを感じ取っていたのでありましょう!雨情さんは、幼い頃から文学的素養があったこともあって、次第に詩に関心を持つようになったのでありますな。「詩人を養成するには、最適の景観を持つ御殿だなあ」と、もりちゃんは訪れたとき思ったのでございます。


御殿の前の磯原海岸沿いの国道6号線を北に300m程行くと、国道右手の海側に野口雨情記念館と北茨城市歴史民俗資料館が一緒の建物にあります。記念館には雨情さんの初出原稿、掛軸、扁額、色紙、書簡、著作品、「金の船」等の作品が発表された雑誌類等が展示されてますな。もりちゃんはしっかりと見てまいりました。じっくり時間をかけて見ないと、雨情さんの足跡はつかみにくいですよ。


さらに磯原海岸沿いの国道6号線を北に6km程行くと、大津町があります。ここはカールスモーキーこと石井竜也さんの故郷であります。そう言えば、偶然と言えば偶然ですが、今日7月19日は、平成9年(1997年)3月に解散コンサートを行い活動停止していた「米米CLUB」の活動再開記念 [新米CD+新舞DVD] 3部作シリーズ第1弾シングル「WELL COME 2」が発売される日です。奇遇ですなあ!運命的なものを感じるもりちゃんであります。



投稿者 tuesday : 2006年07月19日


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