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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(8) インド・北茨城・ボストン

日本美術院の経営が行き詰っている頃、明治34年(1901年)11月、天心さんは内務省の命により、インドに行っております。詩人でノーベル賞受賞で有名なラビンドラナート・タゴールさん(1861-1941年)と出会い、その一族と親交を深めています。天心さんは、インドに約10ヶ月も滞在していたようですな。


天心さんはインドの各地、特にインドの南端から東側の海岸沿いに仏教遺跡をホントによく歩き回っておられます!たんまりとインドの遺跡や美術、つまり東洋の真髄を見ておられます。天心さん、自動車も無い時代に大変だったでしょう?「到着地がよかったから、大したことないよ!」それは、何処ですか?「カルカッタ!」


天心さんが、インドから帰って、外国向けに「The Ideals of the East(東洋の理想)」という本をロンドンの出版社から出しています。もちろん、英文ですよ!世界的に注目を浴びたらしいのですが、日本ではほとんど話題にならなかったらしいですな。


それからしばらくして、天心さんは、北茨城の五浦を訪れます。明治36年(1903年)5月のことであります。以前ご紹介したように、すっかり、風光明媚な五浦が気に入ってしまい、海に面した崖っぷちの土地を購入します。所謂衝動買いというやつですな。きっと、天心さんは、インドとは違った東洋のよさを見つけたのだと思いますな。ホンマに五浦はいい所ですよ。


明治37年(1904年)2月10日、日露戦争が始まった日。天心さんは、横山大観さん、菱田春草さんらを伴って横浜からアメリカに渡っております。ボストン美術館に招聘されたのであります。天心さんは、ボストン美術館で中国・日本部顧問として東洋美術品の整理や目録作成等の仕事をしたのであります。


この時、ボストン社交界のクイーンで大富豪のイザベラ・スチュアート・ガードナー夫人と親交を深めたとのことであります。ガードナー夫人は、美術界では世界的に有名な方で、個人蒐集したコレクションを展示するために巨大な内部庭園付きの住居として美術館「イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館」を明治36年(1903年)にボストンに完成させておりました。天心さんは出来上がったばっかりの彼女の美術館を見せてもらったのです。


ガードナー未亡人は、さまざまな逸品を集めただけでなく、自宅兼美術館の邸宅に同時代の芸術家を住まわせ創作させたといいます。天心さん、すごいおばさんと知り合いになれたのですなあ。このガードナー夫人は、ボストンにおける天心さんの強力なパトロン、つまりスポンサーになってくれたのです。ありがたいことですな。


ボストンへ行く機会があったなら、ボストン美術館だけでなく、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館を見て来なくちゃいけませんよ。



投稿者 tuesday : 2006年08月08日


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