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昭和30年代の歌謡曲

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「有楽町で逢いましょう」 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正 (昭和32年)

昭和32年5月25日に関西のデパート「そごう百貨店」が東京の有楽町に出店してきました。場所は、JR有楽町駅前の読売会館で、今はビックカメラが入っているビルです。その時の広告のキャッチコピーが「有楽町で逢いましょう」でした。これは、テレビコマーシャルで流すキャッチコピーが放送寸前まで決まらず、当時人気のあったアメリカ映画「ラスベガスで逢いましょう」のタイトルを急遽もじって使ったのだそうです。このキャッチコピーの広告ポスターを見た作詞家佐伯孝夫が「これは流行歌に使える!」とヒントを得て、一気にこの歌詞を書き上げ、ビクターの企画部に相談し、作曲家吉田正に作曲を依頼しました。

吉田正は、歌詞を受け取り、有楽町の喫茶店「アマンド」の窓辺の席で、お茶を飲みながら外を眺めて曲想を練っていました。当時、吉田は都会調のムードのある曲を作曲したいと研究を重ねていました。台風が近づいており、雨がポツポツと窓に当たっていました。後に、「この雨音がこの曲のイントロになった」と吉田は言っています。この雨音にヒントを得て、吉田は家に帰り、台風の夜、歌詞部分を作曲したのです。その夜はすごい台風にもかかわらず作曲に熱中し、翌朝庭を見て、どうして瓦が落ちているのかわからなかったというエピソードがあります。

この「有楽町で逢いましょう」は小節、映画にもなり、デパートの出店をきっかけに、それらとのタイアップが功を奏し、この曲は爆発的な大ヒットとなりました。唄ったフランク永井は、ジャズ・ポピュラー歌手でしたが、この曲で歌謡界のスターとなり、「低音の魅力」を発揮しました。この曲は、後に発展するムード歌謡というジャンルの原点となる記念すべき名曲と言われています。

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