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昭和40年代以降の歌謡曲

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「悲しい酒」 作詞:石本美由起 作曲:古賀政男 (昭和41年)

戦後が生んだ大歌手と言えば、「美空ひばり」でしょう。焼け野が原から彗星のように現れた小学生の女の子、その子の歌は戦後の苦しい生活を強いられた日本人を勇気付けてくれました。映画、劇にも出演するマルチ歌手として大活躍し、最後の東京ドームでの公演が今も記憶に新しいですね。平成元年に52歳の若さでこの世を去ったのですが、彼女は戦後の日本のために救世主のように現れ、昭和の時代が終焉した平成元年にこの世を去った今思えば不思議な運命の歌手でありました。

彼女が古賀政男の曲と出会って大ヒットした曲が2曲あります。ひとつは、昭和39年の「柔」、もうひとつは、昭和41年の「悲しい酒」です。「柔」は東京オリンピックが終わった直後に発売され大ヒットとなり、昭和40年の第七回日本レコード大賞に輝きました。「悲しい酒」は、その翌年に発表された作品です。

「悲しい酒」といえば、みなさんご承知の有名なセリフが入っています。美空ひばりは、このセリフの時に必ず涙を流すのでした。

ああ別れた後の心残りを未練なのね。
淋しさを忘れるために飲んでいるのに
酒は今夜も私を悲しくさせる。
酒よ、どうして、どうして、
あの人をあきらめたらいいの。
あきらめたらいいの。

このセリフは、当初のレコードには入っていませんでした。新宿コマのリサイタルの演出効果を狙って、美空ひばりが作詞家の石本美由起に頼んで作ってもらったセリフです。このセリフによって、この曲はさらに大ヒットし、セリフ入りのレコードも急遽作成され、日本の名曲のひとつにあげられるようになりました。

この曲は、美空ひばりの代表曲でありますが、実は美空ひばりのために作られた曲ではありません。ある新人男性歌手のために作られたもので、その歌手は北見沢淳といい、昭和35年に発売された彼の「悲しい酒」は、テンポが速く、軽快に聞こえる歌で、そのためか、全然売れませんでした。彼はヒット曲に恵まれず、不幸にも夭折してしまったとのことです。そのことは、美空ひばりには伝えられず、テンポを遅くしてレコーディングされ、美空ひばりの歌唱力で、この曲は生まれ変わったのです。

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